ここでは数々の難事件を解決した記録を収めています

事件簿056:諸葛亮の軍事能力帰趨

 あれ?また序章はスルーですか?という質問に「その通り」ですと答えを出して、強引にマイウェイ。というか萌えキャラが予想外に不評だったのでぇ修行しなおしです。

 本題。とある企画に連動する前準備として諸葛亮の軍事能力に対する擁護をしたいと思います。なんといっても不思議なほど諸葛亮は軍事能力が無い、あるいは無能であるという事になってますからね。
 過小評価に関してはこちらをご覧ください。

 まず事実のみを記せば諸葛亮は七度戦争を企図して失敗しています。正史を書いた諸葛亮贔屓ぎみの陳寿にも「応変の才が無い」と言われています。
 この事実から、正史を読んだ人は「なんだ諸葛亮は軍事的には無能なんだね」という結論になっているようです。

 陳寿の言う「応変の才無し」というのは戦場指揮官としての才能がないとい言う事だと思います。才能がないというのは語弊です。経験がないが正しいのですが。
 少し想像力を働かせてもらえればわかると思うのですが、いかに優秀な総理が居たとしても突然に自衛官の指揮をした所で成功するはずがありませんよね?(それを自覚している諸葛亮は南征に同行しています。比較的難易度の低い戦場で少しでも軍事を学ぼうとしたのだろうと想像できます)

 閑話
 軍師が軍事能力を兼務する必要は必ずしも無いと思っています。何故なら軍師を職業区分として分けしたなら政治家になるからです。もちろん歴史的に見れば軍事能力を兼務した軍師も存在しますが、基本は政治家です。
 閑話休題

 ここでの疑問は何故諸葛亮は軍事の素人と自ら知りつつ北伐の指揮を執ったか?ですね。それは国家戦略として勝つよりも消耗させないことに重点を置いていたからです。軍人ではこの政治的な駆け引きは不可能です。それに士気を削ぐことにもなりかねません(事実魏延などは文句言っています)一度戦場で大敗してしまえば蜀は再起不能になってしまうからです。

 そして重要なことは諸葛亮は蜀が勝てないことを知っていたことです。一時的に長安を取ることは可能です。しかし維持することが国力的に維持できないのです。このことが七度戦って勝てなかった(勝たなかった)理由です。

 基本的に戦争はよりミスを多くした方が負けます。「勝因の無い勝利はあっても敗因の無い敗北は無い」このような言葉からも明らかです。
 この時代、曹魏に負けるだけの敗因はありません。敗因が無い以上勝てる可能性は皆無です。

 よく曹操などの英雄は少数で多数に勝っています。しかし、その戦争を分析すれば必ず相手側に敗因が隠れています。例えば袁紹の後継者選び等ですね。
 省みて曹魏にはありません。戦乱の中に生まれた新鮮な組織です。後継者選び、軍規、人材、汚職。後漢王朝時代と比べれば一目で健全さがわかるのでは無いでしょうか?
 その証拠に曹魏になってから敗戦がありません。この時代の人材が軒並み払底したわけではなく、軍事戦略上勝てない状況下だからに過ぎないのです。
 そういう意味ではこの時代の人材は貧乏くじを引いていると言っていいでしょう。

 強固な組織が眼前にある以上、それが衰えるの(チャンス)を待つしか在りません。そして諸葛亮は自らの時代では勝てないことを悟っていたように思います。故に彼の行動は全て後代に対する布石だったのではないだろうか?
 軍事力を消耗させない。大義を風化させない。大義を中心として領国の意思統一。他国との連携。万分の一の可能性に賭ける苦肉の策だったように思えます。





















もの悲しくなって参りました
 


平成14年 12月20日



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