ここでは数々の難事件を解決した記録を収めています


事件簿051:諸葛亮と過大評価の仕組み(後編)

 腰で入院する後輩が来月からココが見れないと言うので、リクエストに応えて諸葛亮後編を眠い中、更新です。良い先輩です。というか今寝たら起きられません(AM:4:30)<前編

 何故、同資質の人材の中から諸葛亮だけ過大評価されるのか?結論から先に言えば諸葛亮は国の代表者だからです。諸葛亮には上司(君主)に劉禅という人物も居ますが若年で才気活発な人材ではありませんでした。ですから遺沢を受けた諸葛亮が軍師でありながらに代表者になったわけです。
 国が行った全ての方策は代表者に帰属します。ここでの業績や悪名は全て代表者の功績や責任になります。故に知名度は良きにしろ悪きにしろ飛躍的に高くなります。

 例えばアメリカの政治家と言えば?と聞かれれば歴代大統領が思い起こされると思いますよね?もちろんパウエルさんも十分優秀ですけどね。

 諸葛亮が生きた時代では劣勢の中でも大国と互角(やや語弊)の闘いをしたのは事実です。その故事が、全て諸葛亮の評価として還元されたことにより、軍師でありながら君主としての名声を手に入れる事になったわけです。こうなれば他の軍師との知名度は差異は大きくなります。
 ちょっと思い浮かべてくだされば、諸葛亮に匹敵する優秀な人材(軍師)と言えば魏でも呉でも全権代理人は存在しません。(例外:漢の曹操)
 これが諸葛亮が他の軍師より資質は同じなのに圧倒的に有名であるカラクリです。もちろん悲壮感ある忠義心がスパイスではありますが。

 有名になれば、能力は飛躍的に過大に評価されます。よく聞く「演義での諸葛亮」はといううたい文句も実は間違っています。演義でも諸葛亮は万能ではありません。万能だというイメージを与えたのは有名であるという各人が持つ先入観からに過ぎません。

 しかしながら、ここで諸葛亮が過大評価であるか?。あるいは他の武将を犠牲にして評価を吸い取ったか?と聞かれれば、答えは「No」であると私は答えます。なんせ能力が無ければ悪評の方が有名(むしろ悪評の方が有名になりやすい)になりますからね。(例:袁紹)

 ことわざを引用すれば歴史の評価は「将功なりて万骨枯る」です。

 軍師としての評価も同じです。各国には名前が残らなかった優秀な頭脳集団が存在したはずです。余程個性的な策では無い限り、功績は主席のものとなります。(魏の程イクなどはさほど正史には功績が載っていませんが、高位高官に居ます。なぜかと言えば荀イクや郭嘉達と同じ頭脳集団の一人だからです。作戦の功績はどうしても主席の荀イクに集まってしまいます)運が作用したとはいえ、臣下という枠組みの中で一番目立てる場所に立てって居ることは諸葛亮の一つの能力といってしまっても問題はありません。

 つまり、如何に組織で上位者の信頼を得られるかが歴史での評価を決める大きなファクターであるわけです。もちろん才能がなければ信頼を実績に変える事も出来ないので、ゴマスリ=能力者では無いのは言うまでもありませんね。

















真実発見→評価反転は戴けない
 


平成14年 10月29日



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