何々殺人事件とか始まる事件簿は久しぶりですね、コンバンワーのオハヨウゴザイマス。
今回はさらっと速報で流して終わりにでもしようかと思っていたのですがCHIKA
ROOMに一コンテツに落ちぶれ・・・ゴホン。失礼。参加されている犯罪史上もっともユニークでハンサムな(本人希望の呼称)F教授の「岳ちん日記(出来れば紛らわしいのでF教授日記とかに変えて欲しいと希望)」24日にある「日本人に過去あったもの
」に触発されて考えていたので書いてみようと思います。
まぁ大笑いできないけど、考えるきっかけや勘違いとか見つけて笑っていただければ幸い。たかゆさんも舌なめずりです(偏見)
速報でもそれとなく流しているけど「能力主義志向」や「個性尊重」の風潮がある。これはこれで宜しいのだけども、これは世代がTOPの人の世代が交代したからだと思う。戦後の団塊世代が中間管理職から経営陣にランクアップしたとも言えますね。ここで注意、団塊世代は終わったような言われ方をされますが、これからが本格的な団塊世代の治世です。
それ以前の世代の経済復興を為した家族主義、終身雇用が終わったことを見ればわかると思います。よく終身雇用がバブルでの悪役呼ばわりされますが、確かにシステムとしては動脈硬化を起こし、悪いところばかり移っているのですが、人材を育成しプロフェッショナルを作り、全体の経済力(総中流階級?社会主義?(笑))を上げるのにはトテモ適した体制であったと思います。
家族主義、終身雇用のもっとも大きな欠点である閉塞感を強く味わったのが団塊世代で、自分たちがこんなに苦しんだのだから、次の世代にはそんな理不尽な閉塞感には合わさないようにしようと考えたのが今の風潮だと思います。奇しくもみずほ銀行頭取の演説に集約されてますね。
日本人が働かなくなったのは閉塞感に対する団塊世代の前世代に対する反発による教育。
これらの団塊世代の想いの結果が甘やかされた個性主義能力主義なのだと思います。コミュニケーションが淡くなったなどの批判があるが個性を尊重すれば、組織が小さくなるのは仕方がないことですね。自分たちが理想としていたの欧米諸国の余裕のある暮らしも生産性、品質の下降、教育の低水準という悪い面が噴出してきています。
そして、今後起こるだろうと思われる事では会社や組織の教育の放棄があげられるでしょう。一生懸命教育しても足かけとして行動されたり、気に入らないと転職されたりされれば、教育もおざなりになるのは当然です。それであれば能力のある即戦力を取ってきた方がいいに決まっているのですから。
こうなれば会社、組織側も大変です。能力の高い人材を得るために、その人達の為にお金を使うことになるんですから。そして割を食うのは新社会人です。能力を上げたくとも上げる場所がないのですから。能力が備わってないからナカナカいい仕事が回ってこないって事になります。
これで実力貴族社会の成立です。
もっとも辛いことに、追い打ちを掛けるように侮蔑していたはずの学歴社会が勢いをぶり返してくるはずです。能力を見分けるには実績が一番だけど、山とも谷ともつかない学生の本質的な能力を見抜く方法は皆無問いって良いでしょう。昔のように冗談で個性的な人材を登用なんてのも出来ないですね。何故なら組織が実力個人主義ですから人情で失敗を組織的補填をする事が難しくなってるからです。
長くなりすぎましたので閉めに入らなきゃいけないけど、これらで不安がる必要はないです。経済や文化は流動的で生きていると考えれば、当然起こる節目だと思います。
それに前世代を軽蔑するのはどの世代でも一緒です。反面教師として今後も改革を繰り返していくでしょう。そして日本人はしがらみに束縛されながら無視するのが得意な人種でもあるからです。失敗したらやり直せば良いぐらいに思いましょう。50年も我慢すれば経済も回復していますよ。
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