夏侯覇の亡命<三国志オンリーcon編>
登場人物
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○顧沙印伝
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卑賤の生まれで武芸を嗜み力量により官に召される。齢29の時、部下の冤罪を証明する為に宰将軍を殴り罷免にあう。他国に行く事を恐れた宰将軍に刺客を放たれたが返り打ちにし、武名を上げた。
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○雀雲伝
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富豪の生まれ。弱冠の歳、その才識により孝廉により重職に付く、何をやらせても万事滞り無く行えた。翌年には長史となり、太守を支えた。顧沙印が罷免されると武名を惜しみ、袁杖に紹介状を送る。
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○袁杖伝
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諸葛亮に従い歴戦する。兵法に明るかったが、晩年まで不遇であった。中朗将に任命され、少なからず兵を率いる事になった頃、雀雲より顧沙印を保護するようにとの要請に義憤を持って応えた。同僚達は宰将軍からの後難を恐れ、疎遠になったが、呵々大笑し気にし無かった。
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○蔡藍霞伝
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女性の身でありながら武術に長け、兵士達でも適わなかった。危惧した両親は婚約を勧めたが、相手の歳がつり合わなかった事を嫌い、袁杖の家に逃げ込んだ。戦場に出る事を願い、少なからず功績を上げた。
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時は西暦二四九年、魏でいえば嘉平元年、蜀の年号であれば延熹十二年の事である。
クーデターにより、魏の実権は司馬一族の者になった。姜維を除いた、蜀漢首脳陣は別段司馬師を低く見積もっていたわけでは無かったが、当面は対岸の火事と安穏としていた。よもや、諌言の為に成都に戻っていた姜維の留守を突いて策略に及び、漢中を手中に入れようとしていたとは思わなかったようだ。
寸前のところで気付いた雀雲の要請により袁杖が軍を動かし宰将軍を討った事で鎮圧された。しかしながら混乱は避けられ様も無く、魏の討伐のチャンスを失ったわけである。
策謀が失敗する事も司馬師の計略の一環であったかは司馬師本人にしか判らないが、司馬懿が死んだ事で喜んでおれる状況では無いようで有ると目を覚まさされた。
後に名将、魏の将夏侯渊の子息、武名も確かな夏侯覇の亡命要請において、蜀漢首脳陣が神経質に司馬師の策略を疑った事を責めるのは酷であるだろうか。
姜維は笑って夏侯覇の報を信じ、兵を派遣した。この指揮に当ったのが袁杖である。
彼は慎重に情報を探り、夏侯覇の亡命を信じる事になり、先の反乱において登用した、剛勇で鳴る顧沙印を派遣して夏侯覇の居所を探らせたが消息を断ってしまった。
少ない情報を元に、部隊を編成し、援軍を出す事に決めた。それには雀雲を隊長にし、その補佐には女性でありながら武術の冴えは漢中一と唄われる蔡藍霞をつけた。
援軍が目的地に付くと、顧沙印が夏侯覇をつれて参上した。彼に寄ると夏侯覇の世話になった村が夏侯覇を探し出す為に人質を取ったのだと言う。
夏侯覇の願いに寄り救出作戦が行われた。
魏国の服装を着、疑兵の計で陣地に侵入し、騒動を起こして助け出す計略は完全をせしめ、村人を助け出した。
袁杖が兵を持って援軍に駆け付ける数刻の間、夏侯覇達は少数の兵で村に篭り、大軍を退けた。その時に双刀の達人蔡藍霞の左から起こる剣劇の見事さは後世の語り種になった。
袁杖は軍を勧め、兵数に勝る魏軍を散々と撃ち破った。顧沙印は武名あらたかなトウ艾と一騎討ちに及び、数十合にして互角に戦った。魏兵にその武勇を刻み込ませた。その後、魏兵は顧沙印の旗を見れば敢えて立ちはだかろうとはしなくなったという。
その後、漢中に凱旋し、夏侯覇と姜維は出会い正副の司令官となった。
マスターの反省
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プロローグである漢中反乱はもう少し手短にするべきであったと思った。でも面白いエピソードが出来上がったので由としよう。
夏侯覇の出迎えでは司令官の性格上、袁杖が御留守番になってしまったが、ここで廖化あたりを出して「彼等は危なっかしいので君が監督にゆけ」とすれば全員に絡めたかもしれないと思えば失策であったかもしれない。
でも楽しんでもらえて良かった。
三国志オンリーcon頑張れと言いたい。
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